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「G-SHOCK」がブレイクしたきっかけとは?

こんにちは、カシオnote編集部です。

1983年に誕生した耐衝撃ウオッチ「G-SHOCK」は、現在では累計1億5千万個以上を出荷、世界140カ国以上で販売されています。多くのお客さまに愛されるブランドに成長しましたが、その道のりは発売当初から順調ではあり
ませんでした。

初代モデル「DW-5000C」

「G-SHOCK」は、エンジニアの伊部菊雄さんによる“落としても壊れない丈夫な時計を作りたい”という発想から開発が始まり、1983年に耐衝撃性能を備えた初代モデル「DW-5000C」が誕生しました。
200以上の試作品と約2年の歳月をかけてようやく生み出された“G-SHOCK”でしたが、当時の腕時計は落としてはいけないデリケートな精密機器で、薄型のモデルが主流でした。時代に逆行した分厚く頑丈な「G-SHOCK」は、日本の市場には受け入れられず、あまり売れない時期が続きました。

誇大広告を疑われたCM

状況が変わったのは約10年後、最初に火が付いたのは日本ではなく、アメリカでした。
きっかけは、1984年に全米で放映されたテレビCM。アイスホッケー選手が、氷上に置かれた「G-SHOCK」をパック代わりにスティックで打ち、ゴールキーパーがミットに収める、という演出が大きな話題になりました。
しかし、このCMをみたアメリカの消費者は「そんなことはあり得ない」「誇大広告ではないか」と疑い、さまざまな噂の真相を検証するテレビ番組に問い合わせが殺到しました。

そこで、テレビ番組はCMシーンと同じ状況で検証を行いました。すると、「G-SHOCK」は映像通り問題ないことを実証。さらに、路面に置いた「G-SHOCK」を巨大トラックの車輪でひくという追加実験まで行い、これもクリアしました。

この騒動が、逆に信頼性を高め、「G-SHOCK」=タフネスというイメージとともに、全米でG-SHOCKが受け入れられることとなりました。警察官や消防士など過酷な環境で働く人や、スケートボーダーがG-SHOCKを愛用するようになり、時計の使用シーンを拡大しました。

1990年代に入ると、アメリカのスケートボーダーファッションのアイテムの一つとして「G-SHOCK」が日本でも紹介され始め、ファッション雑誌で取り上げられるようになりました。ストリートファッションの流行に伴って、逆輸入という形で「G-SHOCK」ブームが1990年代後半に巻き起こりました。
以降、タフネスを基軸に、素材や構造などを進化させながら、幅広いラインアップを展開し、今も多くのお客さまに支持され続けています。

そんな「G-SHOCK」の原点である初代モデル「DW-5000C」の復刻モデル「DW-5000R」が、この度発売されます。復刻のポイントを、初代モデルと比較しながら紹介していますので、ぜひカシオHPでチェックしてみてください!

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