懐かしの平成レトロ?カプセルトイで人気再燃したアレを、元・愛用者と開発者が振り返る
こんにちは、カシオ広報部のにしじゅんです。
早速ですが、これ↑、なんの写真かわかりますか?
これは、今から30年ほど前に大人気だったカシオの子ども用電子手帳!
…ではなくて。そのカプセルトイなんです。縦4.0×横2.6×厚さ0.4センチほどですが、ちゃんと開閉もできるスグレモノです。全6種類あり、その精巧さからちょっとした話題になりました。
えっ!? 電子手帳って、なに? だと…?(・・;)
…今では知らない方もかなりいるのか?と、震撼する思いではありますが。
電子手帳は、パソコンや携帯電話(これすら、無くなりつつありますね…)が普及するずっと前、1980年代前半に登場し人気を博した製品です。
まだインターネットの利用が一般的ではなく、多くの人が、スケジュールや住所録などを紙の手帳で管理していた時代、これら内容を電子的に管理するために生まれました。当時は紙のシステム手帳と並んで、スマートな働き方に重要なアイテムでしたが、90年代後半にはパソコンが普及するなどして、次第に市場は縮小していきました。
そんな時代に大人気だった子ども用電子手帳
大人向けの電子辞書が人気だった1990年代前半、カシオは、子ども向けの電子手帳を世に送り出します。するとこれが、背伸びしたいお年ごろの女子小学生を中心に、大人の気分が味わえると、大!大!人気となりました。
当時のおもちゃとしてはかなり高価なものだったので、自分のお小遣いで買うというよりは、クリスマスや誕生日プレゼントとして手に入れた子が多かったようです。
そんな“当時の女子小学生たち”と、子ども用電子手帳の一部シリーズの企画開発を担当していた坂牧勝也さんが、実機とカプセルトイ(冒頭の写真、なんと、坂牧さんご自身がコンプリートしたもの)を前に当時の思い出、開発の経緯や製品に込めた想いを語り合いました。
子ども用電子手帳をご存じの方(使っていた方)もそうでない方も、ぜひ、ご一読ください。
子ども向け電子手帳は、子どものことを考えて作られた独自企画品だった
― どんな経緯で、子ども用電子手帳は生まれたのでしょうか?
「子どもたちに楽しんでもらいたい」そんな思いから生まれた製品でした。
きっかけは、ほしいものを小学生に尋ねた雑誌のアンケートです。その中に、「電子手帳」という回答がありました。当時は大人向けの電子手帳が普及していましたが、子どもの目にはこうした製品がかっこいいものに映ったんでしょうね。
― 当時カシオも電子手帳を手掛けていましたが、大人向けの製品をスペックダウンしたのでしょうか?
いえいえ、子ども向けは、まったく別のプロジェクトでした。
大人が必要とする機能と、子どもが喜ぶ機能は異なります。どんな遊び方をする?どんな機能を喜んでもらえる?ということを想像しヒアリングしながら、企画していきました。
企画開始が1991年、第一号機の製品化が翌1992年です。同様の製品が世に無かったので、どのくらい売れるのか、そもそも売れるのかもわからなくて、5万台だけ生産しました。これは本当にお試しレベルの台数です。発売したらあっという間に人気になって、品不足で大変なことになりました。中には、「買えなかったうちの子が仲間外れにされた、どうにかして」といったご連絡もあり、それですぐに二号機を出すことになったんです。
― そうだったんですね。私もすごく欲しくて、でも1万円以上するからお小遣いでは買えなくて、おねだりし続けてクリスマスか誕生日のプレゼントとしてやっと手に入れました。
― 私もそんな感じでした。嬉しくて、寝る時間になってもずっと遊んでいました。寝ないと怒られるから、布団に潜ってこっそり(笑)。
ご愛用ありがとうございます(笑)。ユーザーに直接感想を聞けるのは、嬉しいですね。
実は、当初出した企画書では、当時人気だったファミコンのコントローラーの形状でした。でも、子どもたちが欲しいのは電子手帳でありコントローラーではないと気づいて、それでこのような形にしたんです。
― それがよかったと思います。当時は大人の気分で使っていましたけど、コントローラーではそういう気分にならなかったでしょうね。
そう、大人の気分を味わいたいという望みを叶えようと、外観は大人用電子手帳と似た形にしました。機能も重要で、この点は実装担当者がいかに本格的なものにするかに腐心していましたよ。
― 外観も機能も大人っぽいけれど、子ども用ならではの機能もありましたよね。私、似顔絵機能が好きでした。
発案者は仕様担当者で、当時は似顔絵機能付きのおもちゃはなく画期的アイディアでしたが、実現には苦労しました。顔のパーツのアルゴリズム化を、別の担当者と研究したり。
何より苦労したのは、大容量データをどう収めるか、でした。似顔絵にはかなりのデータ容量が必要ですが、大容量チップは高額で、使えば製品も高額になってしまいます。これは避けたかったので、皆で知恵を絞り、最終的には、比較的安価に入手できる、電話番号がメモリーできたデータバンク電卓のチップに目を付けました。当時、天才的で職人的なプログラマーがいて、その人がチップにうま~く機能を入れ込んでくれて実現できました。
― そんなご苦労があったんですね!
似顔絵は、赤外線通信でバトルできるのも楽しかったです。勝てるように、わざと怖い顔を作ったり(笑)。あれは、どのような思想で採用されたのですか?
似顔絵バトルですね。当時、身近な製品に付けられたバーコードを読み取って強さを競う、バーコードバトラーという遊び遊びが男の子の間で流行っていました。で、似顔絵は女の子に人気という調査があって、それならこの2つを合わせよう、と考えました。
試作品を社員の子どもたちに使わせてリサーチしてみたら、女の子たちに大うけで。それで、行ける!と思いました。
「電子手帳?それは女の子用のおもちゃだろ!?」
― 女の子に大うけ…。確かに、電子手帳で遊ぶのは女の子ばかりだった記憶があります。
男の子にも使ってほしかったですが、難しかったですね。モニターとして遊んでもらうとすごく楽しんでくれるんですが、じゃあ使う?と聞くと嫌だと言う。電子手帳は女の子のおもちゃだから、って。当時は、男の子はファミコン、女の子は電子手帳という意識が強かったですね。
― 今ではあまり考えられない感じですが、「らしさ」を重視する、そんな意識はあったかもしれませんね。
通信機能強化でさらなる進化
その次に出たペットテレパシーやパピーテレパシーでは、赤外線を何回遮ったらペットを撫でたことになるなどといったアルゴリズムが使われました。
― ペットテレパシー!これ、大好きでした。
― ペットを撫でたり、ご飯を食べさせたり、ボールを投げて取ってこさせたりといった動作を通じてペットを育てる機能が楽しかったです。今でいう育成ゲームですよね。
そうですね。このとき、カシオは育成ゲームの特許を取得しています。なので、それ以降に出た育成ゲームの中には、カシオの特許を使っているものも少なからずあるんですよ。
― !!知りませんでした!
― この後くらいから、画面が大きくなり、カラー化され、付属のペンで操作できるタッチパネルが採用されたかと思います。これでお絵描きもできて、どんどん進化していくという印象がありました。
はい。1995年発売の「ピッキートーク」では、通信方法も赤外線に代えて電話回線を使って通信できる端子を採用し、モデムを介して通信ができるようにしたのですが、これが新たなサービス「グルービーネット」につながりました。
「グルービーネット」は、ペットテレパシーに登場するペットやタレントなどのメッセージコンテンツがダウンロードでき、自分が作った似顔絵や画面上で描いたイラストや文字をアップロードできる“場”で、これがかなり人気になりました。ダウンロードした内容は、電子手帳の画面にスクロール表示されます。通信費は電話回線使用料となりますが、情報提供元が東京のカシオ本社だったため、地方の子がたくさん使って電話料金が爆上がりしてしまった、ということもあったようです。
コンテンツは週1回更新していましたが、その運用は営業部門の担当でした。毎週新しいコンテンツ提供するため、とても努力していたと思います。
ネットコミュニティの走り的存在だった??
― 自分が作成した絵をアップロードできるのは、画期的だったと思います。
そうですね。自分が作った作品などをグルービーネットにアップロードして、それを他のメンバーがダウンロードする、こういうやり取りをするコミュニティを作りました。放課後の遊び場が1つ増えた感じですね。
― 現在のネットコミュニティの走りみたいな感じで、当時としては斬新でしたよね。
夢中になる気持ち、わかる気がします。
― 確かに!そんな子ども用電子手帳は、私たちが中学生、高校生となって遊ばなくなってしまった間に、いつの間にか姿を消したように思います。
電子辞書に注力することになって、子ども向け電子手帳は、残念ながら終焉を迎えました。
実を言うと、子ども向け製品は当たり外れが大きくて、事業としては読みにくい面がありました。でも、取り組む価値はあると思っていました。子どもたちがカシオを知り、将来のファンになってくれるきっかけとなる可能性があるからです。
― そういえば、私たちの世代では、こうして楽しく遊んだ記憶があるので、カシオはいい会社、というイメージが強くて、そのイメージは大人になっても続いていました。
―そういう背景があるから、懐かしさを感じてカプセルトイにもなったのかもですね。
子ども用電子手帳への想い
― この取り組みを通して、留意していたことなどはありますか?
企画開発はずっと、自分の娘が使う姿をイメージして行っていました。娘をはじめ子どもたちにいかに安全に楽しく遊べるものを提供できるかを、ずっと心掛けていた。親の視点で生まれた製品といえるかもしれませんね。モニターとなった娘もいろいろ教えてくれて、いいコミュニケーションになっていたかな、と思います。
― そんな素敵な考えから作られた製品を使っていたことがわかって、嬉しいです。あの頃の自分は幸せだったんだな、と感じました。どうもありがとうございました。
<おまけ??>
ペットテレパシーの動画を作ってみました!こんな風にして、ペットと遊んだりして世話をしていました。今思うと、まさに育成ゲームのはしりという感じだったと思います。